豊年

己の直感は、何かを決めないといけない時に

ちょっとくらい、ヒントになって、

役立たせることができるかもしれない。

 

 

日々、些細なことから全て

己の決断の連続なのは理解しているつもりだ。

今朝は早めに目が覚めて、よしお参りに行こう、

と飛び起きて早々に準備して氏神さんまで散歩した。

とてつもなく何気のないことだけれど、こんなことでさえ決断していることの一つに数えられるはず。

そして直感、の一つだ。

 

直感で選びとって、決めたこと、一つ一つを、

これが正解だった、「正解」と、決める。

そう決めればいいと思う。自分にとって。

自分が決めたことがまた、原動力になる。

 

 

気にも留めないくらいに、

実はどこか頭の片隅で考えていることがあると、

一寸先にそれに付随するものが目の前に現れがちで

自分でも度々驚くのだけれど、よく考えたら大して驚くことではないのかも、と。

 

その人のことを考えていたら、その人の姿を見た、すれ違った、会った、等。

そりゃあ考えていたらそれに付随することが起きても不思議ではないのかも、と。

それが結果、哀しい出来事であっても。

 

直感で感じた気持ちを、これは哀しいんだ、と決めたのも自分。

 

 

哀しくなるということは、

その反対側にある歓びを知っているからだし、

信じたり、磨いたり、導いたり、納得したり。

 

そんな自分にハグだしキスです、自分で自分の直感に。

 


2020年09月27日