ふみ。

2016年の3月に「花見月」*というタイトルで

ブログを綴ったことがあるのですが、

その時に登場したYちゃんが、なんと。

先日、進富座での「うつろいの標本箱」上映を、観に来てくださいました!

もちろん、いつも想ってはいますが、

実際に面と向かっての再会は

それこそまだ切手が80円だったり50円だったりした頃だったので

かろやかにウン年ぶり、第一声が、「ブログに私の手紙のこと書いてくれていたよなあ!」

と、その時の想いも届いていたのでした。嬉しい…。

今回、ちゃんとまた新たなご住所もご連絡先も伺ったので、文のやりとりも再び。

 

と、こんなことを言ったりすると、マメだよねえ、と云われることが多いのですが、

私がマメ、かどうかはハテナ、ですが

「手紙」という”コト”が好き、なのです。

手紙の好きなところは、一方的でいい気がするところ。

時代はどんどんと便利になりつづけて

想いも、言葉も、距離なんか無いくらいにすぐに届く今ですが、

災害時や、何かの一大事の時にはそれはもちろん便利でありがたいのですが

本当の奥底にある想い、本当の何気ない気持ち、は、ちょっとくらい不便、な方が、

奥底にも、何気なくも、とどく、気がしています。

そして、相手を想って、だーっと綴ったら、切手を貼ってポストに出す。

翌日とどく場合もあれば、二、三日かけてとどけられる距離もあって、

そして相手が郵便受けを開けて、その手紙を手に取った時が、

届いた、時。

私が綴った時の熱気がさめたちょうど良い、適温の頃に、とどく。

綴った側は、綴ってスッキリするのだから、お返事を頂けるのであれば、

相手の気が向いた時があれば、届けてくださればいい。

綴りたくなかったら、お返事は、だいじょうぶ。

なんだかそんなスタンス、一方的、な魅力がある気がして、

手紙、という”コト”が、私の性に合っているようです。

友人には、映画のご案内も、メールじゃなくって、紙、でお知らせしています。

このブログは紙じゃあ、ない!のですが

手書きで書いているような心地で、何度も何度も推敲を重ね、

毎度パソコンの黒いキーボードをぽちぽちとたたいています。

伝わりますように。

いつも有り難うございます。

 

 

進富座の上映時、観届けてくださった皆様が、

素敵な贈り物もくださいました。(写真は一部です)

観届けていただけることに感謝です。なのでどうか

いつもお気遣いなく、ですが、

私に!と浮かんで選んでくださった贈り物、お手紙、

たいせつに、いただきます。

ありがとうございます。


2017年03月28日