2013年06月のブログ
ガーデン
ゴーヤは上へ、上へと。
わたしも、ウエエと行きたい。
れもんのことばかり
べつに大した事ではないが理由(わけ)あって、
梶井基次郎の「檸檬」が頭から離れない日々を過ごしている。
そうこうしているうちに
我が家のベランダ農園にて育てている檸檬の植木に
あらたな実が生っているのを発見した!
数年前にこの檸檬の植木を買った。
もうすぐ食べられるであろうぐらいに実った檸檬がひとつ
重そうにぶら下がっているものを買ったので、それを食べてしまってからは
もう実は生らないのではないかって思っていたくらい。
新たに実がなったのは初めて。
感動(どっちかっていうと感激)はおおきい。
(鉢は大きめのものに植え替えている。)
下記の写真で、左側の鉢にローズマリーと植えてあるものが檸檬。
そんな朝を迎え、またも私の頭の中の「檸檬」をつよくなぞることになり
午後ワークショップに行ったら、「レモン哀歌」の朗読をすることになり
またも檸檬にレモンで上書きとは。
檸檬とかレモンづいている……
こっちの「レモン」の方は、智恵子抄の中ので
帰宅して久しぶりに奥の奥の方、本棚に手をつっこんで
智恵子ががりりと噛んだレモンを、家でもはらはら読み返してみた。
演出家の方が、恋い焦がれたりすると胸あたりが「ちりちり」するかんじ、
とおっしゃっていた。響きから想像したら
ちりちり、って音いいなあと思った。
わたしはどっちかって、ぢりぢり、の方かもしれなかったから
ちりちり、って音は新鮮であった。
檸檬づくのはどこまで。
みどりもこども(かぞく)のように
枝から新芽もでてきていて、健康体です。
購入時のウンカリーナの缶には、
ラベンダーをすこし植えました。
缶のラベルがはがれかけている…ところも
わたしはけっこう好きです。ふふふ 愛おしい
百花繚乱
山種美術館にて「百花繚乱 -花言葉・花図鑑- 」*
日本の四季を、花で旅をした。
暑さ、寒さ、そよ風、陽射し…なんかまで肌にぐっと迫ってきた。
花、という存在にますます心惹かれる。
花が満開、に咲き誇る様子って、
“厳しい美しさ”が、うつくしい、のだと
鬼気迫るものがあるとも思ってしまった。
あの目一杯、開花する様子…こわい、うつくしい…
ものを云わない花、
その姿、生立ちから連想して
私たちは花言葉をつくったりシンボルにしたりもしてきた。
紫陽花は、美しいが香りがないことから「よそよそしい美しさ」の象徴
朝顔は、花の生命が短いことから「消滅した希望」だとか、蔦がしがみつくことから「愛撫」とか
芥子は「忘却」「眠ることによってかなしみ苦しみを忘れる」とか
そんなことも書いてあった。
絵を描く、小説を綴る、歌を詠む、生ける、育てる…
草花を愛でることから沸いてくる、人間のインスピレーション、表現力もすごいものだ。
源氏物語で、光源氏が通りがかった家の花に興味をもち
やがてその家の女性と恋愛に発展したエピソードを絵画にした作品もあった。
場面の中の花が、重要な役割を果たしているのだと。
花 ひとつ が、大したこと、きっかけにもなる、ということ。
四季を考えると
私たちが日々生きるたびに、季節の移り変わりに多少歪みが出てきたりもしていて
そのたびに、花の開花の素直さに、はっとする。
気候による開花が如実に表れるから。
この季節に真っ先にこの花が咲くなんて…
おかしいねえ、もう咲きはじめてもいい頃なのに…とか近頃よくある。
やはり、花の美しさ には
私たちの手に負えるような 清楚、可憐、だけではなく
もはや手に負えないような 魅惑的でおそろしい、きびしい、うつくしさも感じてしまう。
応えのない魅力なのかもしれない。