百花繚乱

今は、梅雨。
夏への門であって、欠かせないものだ。たとえ鬱陶しい梅雨も。

山種美術館にて「百花繚乱 -花言葉・花図鑑- 」*
日本の四季を、花で旅をした。
暑さ、寒さ、そよ風、陽射し…なんかまで肌にぐっと迫ってきた。
花、という存在にますます心惹かれる。

花が満開、に咲き誇る様子って、
“厳しい美しさ”が、うつくしい、のだと
鬼気迫るものがあるとも思ってしまった。
あの目一杯、開花する様子…こわい、うつくしい…

ものを云わない花、
その姿、生立ちから連想して
私たちは花言葉をつくったりシンボルにしたりもしてきた。

紫陽花は、美しいが香りがないことから「よそよそしい美しさ」の象徴
朝顔は、花の生命が短いことから「消滅した希望」だとか、蔦がしがみつくことから「愛撫」とか
芥子は「忘却」「眠ることによってかなしみ苦しみを忘れる」とか
そんなことも書いてあった。

絵を描く、小説を綴る、歌を詠む、生ける、育てる…
草花を愛でることから沸いてくる、人間のインスピレーション、表現力もすごいものだ。

源氏物語で、光源氏が通りがかった家の花に興味をもち
やがてその家の女性と恋愛に発展したエピソードを絵画にした作品もあった。
場面の中の花が、重要な役割を果たしているのだと。
花 ひとつ が、大したこと、きっかけにもなる、ということ。

四季を考えると
私たちが日々生きるたびに、季節の移り変わりに多少歪みが出てきたりもしていて
そのたびに、花の開花の素直さに、はっとする。
気候による開花が如実に表れるから。
この季節に真っ先にこの花が咲くなんて…
おかしいねえ、もう咲きはじめてもいい頃なのに…とか近頃よくある。
やはり、花の美しさ には
私たちの手に負えるような 清楚、可憐、だけではなく
もはや手に負えないような 魅惑的でおそろしい、きびしい、うつくしさも感じてしまう。
応えのない魅力なのかもしれない。

ほかにも会期が今日までの美術展をいくつか
ラファエロ*、大神社展*
足を運んで、今のわたしとなっている。

2013年06月02日