2016年01月のブログ
Poemのページ
あたらしく、
“Blog”とはべつに、”Poem”のページができました。
わたしは日々のじかんのなかで、
言葉が浮かんだり、このことを掘りさげたいな、などの衝動があると
メモをとるのですが、そのメモにたくさん言葉の破片がたまって、
メモした事からインスピレーションもうけながら、
お届けできるような文章のかたまりにしてBlogに綴っています。
しかし
Blog、とはべつに
自由に紡ぐところが欲しくなりました。
Poem、と表していますが、
答えなんか無い、
ばかばかしいかもしれない、
ふわふあしてるかもしれない、
かつ、読んでくださる方のことは考えながら、の
心のままに編んでゆくノート、
にしたいとおもっています。
Blog、と、Poem、
違う表情の空間にしたいとおもっています。
現時点ではそんなイメージです。
むかしのことばも、これからのことばも、
いまの我が眼で
みつめてかんじて
紡いでゆきます。
臨、月。
満月は明日か。
自転車こぎながら、空の明るさを追っかけた昨夜。
数日前が、半月で、だんだん膨らんできたなあと眺めていたので
昨日は一気にまあるい!と明るさに目を奪われたのだった。
空に穴があいているみたいで。
あっちとこっちに行ったり来たりできるようで。
たまたま目に飛び込んでくるから、ではあるのだけれど
毎夜、こんなふうに満ちたり欠けたり、の
月の変化も感じていると
きのうなにができた?きょうはなにをした?だからあしたはなにをする?
と、じぶんをどう動かして生かしていくのか、
どんどんと逃げて行く一月を、おそろしく感じながら臨んでいる。
わたしがわがままなのは、わざと。
明け
年が明けて、
なまえのとおり、我が誕生日もあり、
また暮れ、に向けて
はりきって、いくわけです。
一年という365日、に関してだいぶむかしにも想いを書き留めた気がするけれど*
365日、を毎回重ねている、更新しているというよりも
ご先祖様の歴史があり、どこかでぽっとわたしが現れ、身体を携え、心を持ち、意志をもち、
ずっと今に続いている時を、考えていたい、とおもっています。
年末年始の数日間は、上京してからハジメテ
しげぽんママコとトーキョーで過ごしました。
兄とも約束して会い、久しぶりに家族団欒、岡家っていいなとおもいました。
誕生日プレゼントに、兄から言われたこと。
目の前の事、自分のことばかりから
ちょっと焦点をずらしてみてご覧。
常に、もうひとりの自分の眼で、自分をみてみてご覧。
肩の力を抜いて、自分を駒、とおもって自分をうごかしてみてご覧。
このことばのプレゼントを、あらたにじぶんに取り入れていきたい、
すっ、と、
じゅぅん、と、
自分に染み込んでいったのが、体感、として印象的でした。
かぞく含め、たくさんのご縁に支えられて、
いまこうしてここにこんなことを綴る自分が居ます。
いままでご縁をいただいている方々には、
わたしがまだまだ足りない身なのにもかかわらず
たくさんの「ありがとう」を伝える機会をいただいています。
感謝のきもちは常に持ちながら、わたしはわたしを生く、しかないのですが
なるべく近いうちにいつか、わたしを通して
ほんとうに「ありがとう」をお伝えしたいです。
そしてこれからどこかであらたなご縁をいただくかもしれない方、
どうぞよろしくお願い致します。
肩の力をぬいてみます。岡明子
一月二日、祖母おゆきさんから譲り受けた着物を着ました。
こちらは七五三。内宮さんにて。
まさか自分がおとなになっていくなんて、考えていなかった、とおもう。
おまけ。
おゆきさんから譲り受けた紬。
秋頃の県人会で着たときのものです。